日系移住地 日本人が作った街
南米には、日系移住地が多数存在します。
そんな移住地がどうやって出来たのか。
私が聞いたお話をご紹介します。
先ずは、日系人の定義とはどういうものなのでしょうか。
wikipediaによると
日系人(にっけいじん)とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫のこと。
第二次世界大戦直後には沖縄等の戦争の傷跡の深い地域から南米に移民する人が多かった。例えば、ボリビアには「オキナワ」と言う名前の日本人移住者が作った村がある。この移住事業にはGHQとアメリカ軍の意向が強く働いたと言われている。
戦後の南米の移住者達には、日本政府の比較的手厚い支援があった。JICA(国際協力事業団、現国際協力機構)の南米での事業の大きな柱の一つは日系人移住者の支援にある。JICAによる日系社会支援は資金援助よりも、多数の農業専門家を派遣したり、日系社会青年ボランティア制度を運用する等と言った、人的・技術的な支援が主になっている。
と書かれていました。
移住地に住む、日系Ⅰ世の方々から移住の時のお話を聞く機会があります。
なんとも逞しい武勇伝の数々。
戦前、戦後の日本。
南米への集団移住の募集がありました。
移住者用に日本政府が用意した広大な土地を移住者が購入するシステムで、
それを購入した人たちが船で南米までお引越し。
2か月以上掛かって現地に到着し
購入した土地に到着すると、そこははジャングル。
びっくりしたそうです。
「まさかジャングルだとは・・・・・・。」
でも、もう引き返すことはできません。
先ずは、ジャングルを切り開くところから始まります。
碌な道具もない。機械なんかまったく無い。
手作業で、木を切り倒し焼いていく。
ひたすら木を切る。焼く。
そして、畑を作る。
家を建て、五右衛門風呂を造り、なんでも自分たちで作る。
井戸を掘る。
電気は無い。
私が聞いたのは戦後に移住した方のお話です。
最後の集団移住は昭和40年代だそうです。
日本には電気も水道もあった時代ですよね。
驚くばかりです。
しかし、勇敢なⅠ世の皆様はやってのけたのです。
頭が下がる思いです。
現在、私の住む移住地は、電気も水道もあります。
広大な畑、牧場、少なくなってしまいましたが原生林も残っています。
市街地には住宅が立ち並び、商店やスーパー、24時間営業のガソリンスタンド(コンビニを兼ねている)もあります。
幹線道路はアスファルト。
市街地内には石畳の道が多く、外国の雰囲気を醸し出しています。
日本の田舎のような、とても便利な街です。
こんなに便利に住める街を作ってくださってありがとうございます。
現在では、日系四世の子供たちが日本語を話して生活しています。
日系人だけではありません。
現地の人たちも日本語が話せる人が多いのです。
なので、私は便利な日系移住地でほとんど日本語で生活できているのです。
こんなびっくりすることが日本の裏側で起きていたなんて。
「事実は小説より奇なり」
この言葉がぴったりですね。
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